ゆずれなくてもいい

 友達や兄弟、もしくは外出先で初めましての子どもに「どうぞ」「使っていいよ」と出来たら「素敵!」「優しい!」ですね。

 反対に「ダメ!」「無視…」「取り上げる」なんてことをしたら「貸してあげて!」「どうぞ、でしょ!」と言いたくなります。

そうです。多くの大人がそう思うのです。

 子どもの身の周りの物や人に対しての態度や配慮は近くにいる大人の姿から吸収されます。
だから、やっぱり教えてあげたい一心で「貸してあげよう」「優しくできるよね」などと言って、子どもに「貸す」「譲る」ことを率先してさせてしまうのです。

 
しかし、本当にその態度は素敵なのでしょうか。
本当に子どもの内面から出た優しさなのでしょうか。。。

お一つどうぞ

子どもの中で「貸して」と言われたら「貸さなければならない」という仕組みが浸透してしまったら。

自分が「貸して」と言って貸してくれない友達が「悪」となる場合があります。
貸したくない、または貸せない事情があっても「貸してあげなきゃ」いけなくなります。
例えばそれが、「お金」でも…?「優しくしてあげて」と言って貸してあげるよう促しますか?

 私たち大人が物の貸し借りをする場合には、「お互いの了解」があってはじめて貸し借りが成立します。
 ということは、子ども達の場合にも、大人が介入して「貸すべき」と決めるのではなく、子ども達同士の「お互いの了解」があって成立するのが自然ではないでしょうか。

ブロック遊びをしていると…
A「赤のブロック貸して」
B「今使ってるからダメだよ」
A「Bくんが貸してくれないって言った~」

こういう場面がよくあります。
先に使っているBくんは単純にブロック遊びをしていただけですし、Bくんにも「こういうものが作りたい」という目的があるかもしれません。
ですから、Aくんには「Bくん今使ってて貸せないんだね」と伝えます。
Aくんの味方にも敵にもなりません。Bくんの味方にも敵にもなりません。
「いつなら貸してくれるか聞いてみる?」
「なんで今貸せないのか聞いてみる?」
相手の事情を知る機会を持つようにします。
そして、こちらの事情も伝える機会を持つようにします。
「こういうのが作りたくて赤のブロック集めてるんだ」
「3つしかないからあと1つ欲しいんだ」
お互いにそれを聞いて、待てるか待てないか。納得できるかできないか。どういう風に「お互いの了解」を取っていくのか。はたまた、あきらめるのか。それは子ども達次第です。

意見交換しようね

貸し借りには「良い」も「悪い」もないのです。

そんなやり取りを経験していくことで、相手の気持ちを知って感じて考えて、自然と子ども達は貸し借りができるようになっていくのです。

「貸さなかった経験」「貸してもらえなかった経験」「貸した経験」「貸してもらった経験」

どれも必要で、欠かせない経験です。
大人が決める必要はありませんし、スムーズにいく必要はないのです。
大人ができることは、子ども達が言葉にできない気持ちや、相手の立場を言葉にしてあげるだけ。
それだけで、子どもなりにいろいろ考えて決めていきます。

貸してもらえたら、「嬉しいね、こういうときはありがとうって言うんだよ」
考えた末、貸せたら「お友達きっと喜んでるね、ちょっと我慢して貸せたらお友達喜んでくれて嬉しいね」

など、貸し借りってお互いにいい事があることを伝えていくと、子ども達の貸し借りへのイメージが変わっていく気がします。

「貸してあげる子どもでなくてはならない」前提が少しずつほどけていくことで、

子ども達に「相手の気持ちを知る」機会が増えますように。

一緒に使おうね